施工事例



"私が犯した苗木植栽の失敗集" 

H21.7.26

森林再生支援センター専門委員 高田研一

1. はじめに

昭和63年の初夏、職業研究者としての将来に不安を抱いていた私のもとに大阪から二人の緑化コンサルタントという方々が訪ねて来られ、奥飛騨でトンネル工事によって破壊された森の跡地=道路法面に自然回復をしたいが、その指導をして欲しいという。

奥飛騨といえば平湯温泉。大学入学時から大学院にかけての6年間の夏を過ごしたところであり、何かの縁を感じたこともあって、即座にお引き受けした。 自分は基礎生態学の中心に場を占めているという自信も、論文がなかなか書けないゆえに失いかけていた頃である。

当時、自然回復という語感が与えるイメージは良かったかもしれないが、現場応用的な学問は学問の本道ではないという空気がつよく、大学の研究室においてもこれに取り組むことを言うのが憚られる雰囲気があった。

それでも結局、私は平成9年の安房峠道路完成式に至るまで、この本格的な自然回復緑化(現在であれば自然再生と呼ばれるであろう)を10年間手がけ、そして森をつくった。

写真1.安房峠道路緑化アカンダナ駐車場苗木植栽後15年目の状況(高山市)(写真は後日掲載予定)

私は40歳前のその歳に至るまで、大学とその周辺でしか人生を知らず、社会的常識の何たるかを知らなかった。当然ながら、それまでの緑化や苗木植栽工と呼ばれる土木工学や林学的な業種において何が行われているのかという常識が全くなかった。もちろん、道路面を支える盛土法面という言葉に初めて出会ったのもこのときである。 その後安房峠道路緑化と呼ばれることになったこの自然回復緑化の計画策定業務という仕事で、私はさまざまなことを知り、さまざまな工夫をし、そして何度も失敗と挑戦を繰り返した。ランダム集中配植という造語を作ったのもこのときが初めてであるが、実際に植栽する施工業者にそのことを確実に理解させる時間が与えられなかった。 しかし、これで稼ぐいくばくかの金銭収入以外にも得たものは大きく、その後の人生のかなりの部分をこの緑化という業のための理論化とその試行的実践に使い、全国各地で苗木を植える仕事を支え続けてきた。

本稿は、およそ二十年前のその当時以降、現在まで多くの現場で苗木を植えてきた中で、私が今でも痛い思いを残している失敗を総括してみたいと考える。また、それと同時に失敗を引き起こし易くさせている社会システムをも指摘し、今後の私も含めた専門家間の反省の一助としたいと考えている。

なお、蛇足ながら付け加えると、近年「基礎」生態学という意識は学界でも希薄となり、多くの生態学者がこの「応用」的な緑化=自然再生の分野に参入する機会が増え、生態学会では、誰が教えるかは知らないが、「自然再生講習会」を主催するほどにもなっている。(一方では、農学部の造林学系の学科、研究室は解体されてしまったのに!) しかし、私が苗木植栽を試行する中で、本当にこの行為そのものが生態学に通暁している者でしか取り扱えないほど難解で困難であることを経験してきた。

つまり、樹木を育てるという行為が、現場の地質とその風化、土壌とその微生物的遷移、そこでの樹木の根系の展開特性、種子生産とその散布能力、発芽床、樹種の特性と立地によって規定される発芽初期から生育後期に至るまでの生長、樹高、寿命、さらに利用する光強度、樹形特性を知っていることが前提であって、その前提の上で、異なる樹種組み合わせの中でどのような反応を樹木が示すのかということまでが分からなければ、自然再生→ 森林再生=苗木植栽工の設計ができないということが明らかである。 例えば先駆性樹種を陽樹、遷移後期性樹種を陰樹と簡単に分けてしまう程度の感性では自然再生を語るには不十分であるし、それを十分に語れるだけの知恵を持っていたとしても苗木の捌き方、植え方などについての現場技術がなければこの事業はうまくいかない。

われわれは完全ではない。失敗を踏まえた上で、その学びを次の仕事に活かし、それをまた若い後継者に伝えていくことしか今ある森の危機には立ち向かえないことを知っている。

2. 苗木植栽の失敗とは何か  

わが国では苗木植栽は行政の二つのラインで行われる。一つは土木工学―国交省のライン。もう一つは林学―農水省=林野庁のラインである。業としては確かにあまりにもこの二つのラインでやってきたことは異なるが、これからは共通の土俵で考えるべきことが多い。したがって、この二つのラインの垣根を取り払って論を進めたいと考える。 では苗木植栽を失敗するとはどういうことであろうか?  

 わが国では第二次世界大戦直後の木材需要期にスギ、ヒノキが高く売れ、その後の経済成長の中で、多額の補助金を費やして広葉樹林を皆伐し、これらの人工林を育成してきた。 確かにスギ、ヒノキは植林後ただちに枯れることなく、うまく育っているといえる。しかし、今日、この将来需要予測を無視し、森林立地を無視した森林の一斉転換が成功したかというと明らかに誤りであったといえるかもしれない。苗木植栽には成功したが、森林育成には失敗したというわけである。

 本稿では、植えた苗木が成木までに育ち、その森林にどういう意義があるのか、までをも捉えなければならないと考える。苗木が育つか育たないかという点でだけ考えれば、せいぜい苗木が活着する4,5年間に限った成果を問うだけである。

 この短い期間の苗木の成否を問うだけのことであれば、単純な技術論として、例えばエコロジー緑化と呼ばれる高密度幼苗植栽のように、より上手く活着させるスキルとしての標準化は簡単であるが、それだけでは不十分である。

 苗木は広い意味で人のためにこそ植えられるものであって、固有の地域生態系を回復再生したり、美しい景観を形づくったり、あるいは山腹災害を抑止したり、CO2を効率よく吸収するなどといった社会資本としての役割を果たすことや、孫や曾孫のために遺産として木材を育てたり、一生の記念に美しい花木を残したいといった財産的価値を形成すべきものである。そのためには、苗木が育って初めて意味を持つ。  したがって、本稿では、将来意味を持つであろう木や森を育てることに失敗することの全体を広く苗木植栽の失敗と捉えたい。

3. 苗木植栽の失敗はどう起こるか?

 苗木植栽の失敗には、A.苗木が活着せずに枯れてしまった場合と、B.活着して最初はうまく育ったが、その後の生長が思わしくない場合、C.きちんと成木に達したが、森としては社会資本としても個人財産としても役に立たない場合の三つに大別される。

 この三つの失敗の状態は、次のように置き換えることもできるかもしれない。

@ どの樹種の苗木も活着せずに、枯死に至る場合(A,B)

A 特定樹種だけが活着せずに枯れる場合(A,B)

B 特定樹種だけの生長が旺盛で、他の植栽樹種の生育を圧迫(被圧)する場合(A,B)

C 植栽樹種のいずれもが生長しているが、生態系回復も含めて資源的価値を持たない 場合(C)  

  このような苗木植栽の失敗の理由を考えると、計画から植栽施工に至るまで、さらには植栽後、成林するまでの全プロセスにおいて、その失敗の原因が潜んでいることが分かる。この失敗の原因は次のように分けるだろう。

(1) 計画段階での失敗:樹種選択、配植の失敗など

(2) 植栽現場条件、植栽材料の失敗:造成法面の造成手法上の失敗、粗悪材料の失敗など

(3) 植栽施工時の失敗:植栽技術上の失敗

(4) 植栽管理の失敗:クズの繁茂による苗木の枯死など

(5) 非予測的災害による失敗:台風、洪水などの非予測的なできごとによる苗木枯死

以上のすべての項目において、私は苗木を枯らしてきた。

その反省を込めて、どう失敗したのか、なぜ失敗したのかを次にもう少し詳しく考えたい。

4. 計画段階で起こした苗木植栽の失敗  

 植栽計画とは、どこでどういう樹種をどのような密度で植えるか、このとき将来育成する群落の目標像はどのようなものかを示すという理解をしている専門家は数多い。

 例えば、エコロジー緑化では複数の適用樹種を選択し、その密度%、本数を出す。もう少し詳細な設計である場合には、植栽基盤としてマウンド造成方法、ワラなどによるマルチングの指示を出して植栽計画としている。

 しかし、これだけでは植栽計画、緑化計画としては不十分で、現場がたとえ造成基盤であっても、斜面方位や給水性、盛土材料のバラつきなどがあって、すべての樹種苗木を思いつくままにランダムに植えても、苗木の中には生長のプロセスの中で枯死してしまうものや劣勢木の状態から回復しない場合も多く、将来の群落の発達も予見できない。

 造林の場合は、単一樹種苗木を用いて、その密度本数を決め、規則一様ないしはランダム一様に苗木を配するだけであるが、植え方や植える場所の選択は現場作業員の経験則に委ねることとなっている。植栽木の生長につれて発生する劣勢木は管理作業の中で間伐等の手入れを行うことによって、健全木を設定された伐期に目標本数に仕立てることとなる。  この場合、管理が不十分であったり、設定された伐期で伐ることができなかったりした場合には、林地が荒廃したり、育成林分のCO2吸収能などの環境的機能が低下したり、あるいは用材としての価値の低下を招く場合もある。  

 このような苗木植栽に対して、私は自然配植と呼ぶ苗木植栽を行ってきた。この自然配植による植栽方法は概略すると以下のようなものである。

(1) 施主(多くは行政)の希望、社会的ニーズに応じて、将来求められる森林像=緑化(造林)目標を立てる。

ただし、これまでの事例の多くは地域生態系を構成する多樹種からなる生物多様性の高い自然再生型群落ないしは景観性の高い針広混交林を目標としてきた。

(2) 植栽予定地の立地環境の分析、予定地周辺の植生調査を行い、育成目標群落の構成樹種(適用苗木樹種及び自然侵入が予想される樹種からなる)を群落初期(植栽後十数年程度まで)、中期(植栽後数十年まで)、後期(植栽後50年以上)に分けて構想する。

このとき、立地環境の分析は、斜面方位、斜面勾配、表層地質とその風化状況、残積土、崩積土などの土性区分、さまざまな礫サイズの混入とシルト分の混入をみる土壌粒径区分、斜面の凹凸などの地形区分、水みちの所在、主要な視点場を現場図面と照応しながら現地で確認する。土層厚は風化状況記録時にともに観察しておく。 この立地分析を基に育成目標樹種及びその密度、植栽可能箇所を設定し、将来の群落構造についての予見を行う。

(3) 立地条件の分析から期待される群落について、原則として、初期(植栽当初)、中期、後期の三段階で、植栽地における各樹種の樹冠分布がどのような形を占めるかを投影図として表した期待樹冠予想図を作成する。ただし、時間的余裕がないとき、植栽後30年程度を想定した1種類だけの樹冠予想図に留め、これを基に苗木配植位置図を作成したこともある。(このとき、それぞれの樹木がどんな条件であれば、どのような形で、どんな速さで育つかを樹種別に考慮するため、自形性・他形性という樹形形成理論、利用光強度、生長速度などについての各樹種特性の知識が必要となる。)

(4) 与えられた予算、植栽予定樹種苗木の市場性、活着に必要な補助材なども考慮し、最終的な適用苗木樹種規格および各本数を定め、期待樹冠予想図をベースにおいて、苗木配植位置図=植栽設計図を完成させる。

自然配植で行う多くの場合、群落の多様性が高い異齢的構造へと誘導するために、苗木の植栽位置はランダムかつ集中的な分布をもつ配植=ランダム集中配植となることが多い。また、多くの樹種において、活着と初期生長の促進のために同種苗木の群植である巣植えを行うことがふつうである。

(5) 特記仕様書、数量表を作成する。

特記仕様書の内容は特段に重要であって、地域性苗木の調達についてはとくに具体的に明示しなければ素性の分からない粗悪品が入ることあるし、植栽方法に至っては仕事を受注した業者は知らないことを前提に詳しい書き込みが必要である。

詳しく書き込んだとしても、現場の植栽作業員が下請け、孫請けの場合には特記仕様書の記述をまったく無視されることも多いのが現実であるが。    

以上のような自然配植と名付けられた最も生態学の常識に忠実な苗木植栽の計画において、私は恥ずかしながら、いくつもの失敗を犯してきた。

この失敗を整理すれば以下のようになる。

@ 立地評価の判断ミス

・ 土質判断についてのミス

■切土法面で十分な土層厚を確保できない場所で岩盤亀裂の確認を怠り、高木性樹種を設計に入れた(京都で)   

■浚渫土材の盛土法面で、砂質透水性基盤で十分な保水性改善を施すことなく、遷移後期性樹種を導入した(長野で)   

■産廃跡地で土質をチェックせず、植栽苗木の生育不良を招いた(奈良で)   

■造成平坦面での滞水性チェックをしなかったところ、寝腐れを招いた(大津で)

・ 水みち(過湿帯)の見逃し:

■旧谷地形を読み取れず、盛土法面に配植設計を行った(京都で)

・ 岩盤亀裂の過大評価

■岩盤亀裂の開口部が岩盤貫入型樹種導入には困難であったにもかかわらず、小型分解性植栽基盤柵を設置して高木性樹種苗木を植栽した(長崎、奈良で)

・ 雪圧の過小評価

■雪圧で湾曲する広葉樹材製小型分解性植栽基盤柵を設置した上で苗木植栽を行った(秋田で;ちなみに針葉樹材製のものは耐雪性が高い)

A 樹種選択のミス

・ 立地と不適合な樹種を選んだミス

■ツガの生育適地でないところにツガの苗木を植栽した(京都で)

・ 市場性のないものを選んだミス

    ■地域性苗木のモミを選んだら、長野産のウラジロモミが来た(奈良で)

■ムラサキシキブを選んだら、コムラサキが来た(奈良で)

・ 先駆性樹種の選択ミス

   ■アキグミを活着がよいので選んだが、はびこり過ぎた(奈良で)

    ■外来ハギ群落の樹林化でネムノキを選んだが、逆に他感作用で生育不良(奈良で)

・ 草本類との競合を甘く見すぎたミス

    ■旺盛なススキによって生長速度の遅い頂芽型樹種が被圧枯死した(奈良で)

    ■クズ、カナムグラの被覆で植栽苗木が枯れた(京都、佐賀、奈良で)

・ 自然侵入予想種の過小評価

■低量手蒔き播種後法面で一部裸地が残り、そこにカラマツが多数入った(岐阜で)

■苗木植栽時にできた小裸地にヌルデが大きく育ち、植栽苗木を被圧した(岐阜で)

■周辺部がコナラ林なのにコナラ苗木を多く使い過ぎた(京都で)

・ 階層構造形成上の低木・亜高木・高木バランスのミス

■現場で配植位置の修正を行うと、亜高木性先駆性樹種が不足していた(静岡で)

B 樹種組み合わせ、配植のミス

・ 先駆性樹種の樹冠生長予想の過大、過小評価

■遮光機能を期待する先駆性樹種と遷移中後期性苗木の間隔に誤り(京都、奈良で)

・ その他樹種間植栽距離の不適合

■自形性樹種どうしの間隔が近すぎて、一方の被圧枯死を招いた(岐阜で)

■微生物土壌型が不適合な樹種どうしを近くに置き過ぎた(静岡で)

・ 苗木規格の選択ミス

■大きすぎる篩苗の根系を切り詰めた偽ポット苗が来た(奈良で)

■規格が小さ過ぎてススキの被圧で枯死苗が出た(奈良で)

・ 景観的不適合

■目立つ場所に紅葉が汚いコナラ、ヤシャブシを置いた(京都で)

■現場では配慮したつもりが主要視点場からは景観木が見えない(京都で)

・ 立地不適合樹種配植の見落とし

■水みちがない乾きやすい場所にカツラを置いた(岐阜で)

■集水地形となる場所に残積性樹種を置いた(岐阜で)

・ 長期的に森の骨格となる主木の欠失

■自然再生が望ましい無管理の現場で寿命の短い花木中心の設計を認めた

・ 植栽密度の過少

■コストの制約から十分な遮光なしに過少密度で植栽する計画を認めた

・ 樹形特性の組み合わせミス

■ヤマザクラとクスを近くに置き過ぎた(奈良で)

C その他設計上のミス

・ 施肥、土壌改良材の適用指示のミス

    ■厩肥を30cmの深さまで混入したら、苗木の根腐れが生じた(岐阜で)

・ マルチング材の仕様ミ

■質を確認せずにヨシをマルチング材と認めた(京都で)

・ 小型分解性植栽基盤柵の適用ミス

■亀裂のない基盤岩の上に設置させ苗木を植えさせた(奈良で)

・ 遮光方法選択のミス

■小枝が発達して苗木を被圧するアキグミを遮光木に使った(岐阜、奈良で)

■強風下で遮光柵を使った(奈良、長野で)

   写真2(左).アキグミに被圧され、上伸枝が上に抜けないイロハモミジ(写真は後日掲載予定)

   写真3(右).強風で遮光柵が飛ばされ、強光下で黄化した植栽苗木(写真は後日掲載予定)

D 特記仕様書の書き込み漏れ

・ 作業分業の行き過ぎへの注意の欠如

■作業効率優先で分業を否定せず、根締めの不十分な植栽をさせた(長野、奈良で)

・ 苗木の仮置きと小運搬時の注意の不徹底

■苗木の仮置き、小運搬、植栽時に苗木の根が乾かせない措置を指示しなかった

・ 巣植え方法の指示の不徹底

■巣植えではなく、ふつうの空き場所植えがされた(岐阜、静岡で)

■巣植えではなく、効率優先の「つまみ植え」がされた(奈良で)

写真4(左).つまみ植え=ふつう行う巣植えは同種苗木を枝先が触れ合うギリギリの 距離で植えるが、つまみ植えはここでは3本を一つにして植えている。この結果、 とくに落葉広葉樹は高い枯損率を示す。

写真5(右).つまみ植えで主軸折損を起こしたヤマザクラ

・ 植穴掘り起こしと植え付け時への注意不足または欠如

■植え穴の掘り方、埋め戻し、植え付け方法を具体的に指示しなかった(徳島など)

・ 材料検収の方法指示の欠如

■篩苗をポット苗と偽られた(奈良で)

・ マルチング材の厚み確保への注意欠如

■ススキをマルチング材として、厚さ10cmの仕様としたらハゲができた(長野で)

写真6.長野県王滝村のダム浚渫土法面の苗木植栽工。

 ダム浚渫土は土壌粒径が揃い易く、ここでは安山岩砂または礫でシルト分、粘土分を欠く。

 このため、有機コロイド母材の役割を期待して、ケイ酸分の多い現地採取ススキを厚さ10cmで敷き均すこととしたが、実際にはこの厚みの検査ができていなかった。このため、耐乾性のない遷移後期種の多くが枯損した。    

写真6.施工2年目でススキのマルチングが失われた盛土法面(王滝村)

E 植栽後管理計画上のミス

・ クズ、カナムグラ等のツル植物除去の必要性がある場合の指示の欠如

■目標に応じて必要な管理計画を出さなかった(京都、長野で)

写真7.施工後10年目でクズ群落となった苗木植栽現場(京都市)

    この状態でも苗木の約半数は生き残っているため、クズの刈り払いが必要

・ 先駆性樹種の剪定・間伐の必要がある場合の指示の欠如

■先駆性樹種が想定どおりに衰退しない場合の管理計画を出さなかった(各所で)

 以上が、計画者たる私の主な手落ちです。申し訳が立ちません。

5. 植栽現場条件、植栽材料で発生した失敗

(1) 植栽現場条件

@ 造成法面

造成法面で行われる苗木植栽は、緑化工の分野に属し、樹林化工と呼ばれる。一般には大きな金が動く土木工事の中ではきわめて小さな工事で、むしろ本体工事の後始末的要素が強かったため、緑化は土木の家来といわれてきた。すべてが土木優先でわがままは許されなかった。

土木の美意識は生態学の価値観と正反対で、岩盤切土法面はきれいに直線的に切り取り、微妙な岩盤の凹凸の隙間に溜まった樹木の生育基盤となるわずかな土壌もすべて清掃の対象となる。

それをよしとした上で苗木植栽を試みることは、最初から植栽苗木が上手く育つための最大限の努力をしてきたとは言えない。私は生態学者としての魂を売ってきた。

岩盤では厚層基材吹き付けによって牧草を育てても何年も持つわけはなく、その内に厚層基材が剥げて元の岩盤に戻るのであれば、育つべき場所に岩盤の安定を損なわない樹木を導入すべきだという主張を通すだけでも何年も必要とした。しかし、それでもまだ日本を見渡すと大きな方向転換が行われたわけではない。

写真8.岩盤亀裂開口部評価の上で実施した切土法面樹林化工(奈良市)

盛土法面の整形についても直線整形という点で同じことが言える。ただし、今年(09年)静岡県の現場で大成建設の土木技師岡村氏が試みた法面整形などは、自然のもつ不規則な起伏を復元しようという大胆な挑戦で、起伏を造るからこそ多様な樹種の導入が可能となったことは特記すべきことであろう。

写真3.起伏をつけて造成された盛土法面(富士宮市)

ついでに言えば、森林を改変し、造成盛土法面上にわざわざ大事に取っておいた表土の敷き均しということが自然再生の名の下に行われることがある。埋土種子によって元植生の復元を図るという訳の分からない理屈だそうだ。偶然、上手くいくケースがあるかどうかは知らないが、多くの現場でアカメガシワ、ヌルデなどの群落となるかクズ群落となって景観的にも貧弱な森林としての多様性からみても荒廃群落となる確率はきわめて高いというべきであろう。こういう基盤の下では苗木植栽をしても菌害を被って、苗木枯死が頻発するおそれがある。

A 林地

 林地で行う苗木植栽は、林相転換として小規模に群状間伐して、そのギャップ空間で植栽するケースと、皆伐後斜面に植栽するケースがある。林地での私の植栽事例が多くないため、苗木植栽の失敗は以下の点のみである。

 ■鹿の食害を避けるために竹製小型円形防鹿柵を設置したが、防鹿柵下部からウサギが侵入して苗木を食われた(三重で)

 ■森林表土に配慮なく通常の植栽をしたところ、菌害で苗木が枯死(長野、京都で)

 ■立地分析が未了の段階で植栽樹種数量を設計段階で決めた(三重で)

(2) 植栽材料

 植栽材料というと、まず苗木の確保の問題がある。これにはたいへんな苦労が生じる。私はここでも数々の失敗をしてきた。

@ 地域性苗木の入手の失敗

■近畿産コナラ指定が実際には九州産が来た(大阪、京都で)

 (同様の事例は多い)

■イロハモミジに園芸品種が混じっていた(岐阜、京都で)

A 苗木仕様の指示の不徹底

  ■ポット苗のはずが、篩苗が来た(京都で)

  ■1m高の規格で発注したが、苗木主軸の上部が1mに切り落とされていた(京都で)

  ■TR比が大きすぎる苗木=根の張りが悪く、地上部の枝葉がボリュームがある苗木が来た(佐賀、長崎、京都、岐阜で)

B 苗木検収の失敗

  ■モミのはずがウラジロモミが来た(奈良で)

  ■タニウツギの中にハコネウツギが混じっていた(京都で)

苗木以外の材料入手での失敗としては、

■土壌改良材のコンポストでは、良質なものを使うためにメーカー指定までしておいても、粗悪品が入ってきたことがあった。(奈良で)

  ■厩肥を購入したところ、発酵が不十分で悪臭、ネバつきのあるものが来た(岐阜で)

  ■網目の荒い金網製小型防鹿柵に鹿が口先を突っ込んで食害を受けた(三重で)

6. 植栽施工時の失敗

 苗木植栽は計画・設計こそが重要であると私は考えている。しかしながら、土木に付随する緑化の分野では計画・設計能力を欠き、かつ現場・地域条件を熟知していないコンサルタントが業務を請け負うことが少なくないし、林業分野では多くの場合、その計画・設計業務すら発生せず、机上で行政の担当職員が既往事例を参考に樹種、数量指定を行う程度である。その結果、受注した苗木植栽業者が技術を有する良心的な業者であったとしたら、きわめて幸運と言わざるを得ない。  

 機械的な競争入札制度は、技術者良心までも奪い尽している。安価で落札すれば、それを補うために、良くも悪くも、人(作業員報酬)から抜くか、モノ(苗木などの緑化材料)で抜くか、それとも工事期間を実質的に短縮するかでしか対応できない。

つまり、中高年の経験がありそうな植栽作業員を見たらまったく素人のシルバーさんがやって来ていることがあるし、高品質な材料はその空袋まで利用されているらしいし、地域性苗木は現状の無理な安価な価格がまかり通るのなら、その内に必ず偽装産地の苗木が登場するのは目に見えている。

私が経験した苗木植栽施工時の目を覆いたくなる現実は以下の通りである。

@ 作業効率優先から生じる現実

■穴掘り、小運搬、植え付け、埋め戻しの分業で機械的に作業の結果、苗木活着率がそうでない場合と比較してきわめて悪かった(三重、愛媛、奈良で)

  ■ポット苗を捌かずにそのまま植穴に突っ込む(三重、奈良などで)

  ■植栽時に苗木の主軸の伸びる方向に注意しないため軸が交差し、風で触れ合って互いに傷つく。傷口から腐朽菌が入る。(愛媛、奈良で)

A 作業員の技術不足から来る現実

  ■植え付け作業に手鍬を持たず、大きなシャベルで済まそうとした(愛媛、京都で)

  ■植え付け、埋め戻しが粗雑で根締めもできていない(愛媛、奈良、京都で)

  ■巣植え3本を一括りにまとめ植えして落葉広葉樹苗木が枯死(奈良で)  

 施工業者のために一言添えるとすれば、多くの業者の内、少なくとも大部分の作業員については良い仕事をしたいと願っている。しかし、その技術についての研修を受ける機会はない。なぜならば、苗木植栽工の歩掛かりは、苗木1本を植えていくらと決まっているからである。

 本当に技術力のある作業員は1本の苗木を植えるのに実に丁寧に仕事をするが、当然、その分余計に時間を食う。すると、雑な手荒い植栽をする素人の作業員と比べて名人の方が稼ぎが少なくなるというわけである。

 ポット苗の場合、1年間は枯れることが少ないために、素人が植えた苗木と名人が植えた苗木の違いを、品質の何たるかを知らない検査官は区別することができない。

 したがって、こだわりをもつプロよりも素人を使った方が企業としては採算が合うという現実が生まれている。これはシステム上の問題である。

7. 失敗が生じるシステムの問題

 安房峠道路緑化を進めていた10年の間に、建設省は国交省と名を変え、緑化工事の担当者は三代にわたって入れ替わった。いずれも熱心ですぐれた方々であり、夜の12時近くまで質問の電話がかかってきたことがあった。

 しかし、たった一つのプロジェクトを実行するために、三代にわたって担当者が交代すれば、どんなにすぐれた担当者であっても事業の経緯について完全に掌握することは難しい。

 いま、私は緑化関連の三省庁;国交省、環境省、林野庁といくつかの地方自治体とお付き合いがあるが、いずれも2年から3年、長くても5年で担当者が入れ替わる。新たな担当者は多くの場合その分野の専門家がやって来るわけではない。新たな業務のために十分な研修機会があるわけでもない。

 わが国の官僚機構はすぐれており、無謬をモットーにしてきた。無謬とは、税を適正に 使い、すべてについて合理的説明ができるということである。しかし、誤らないことと意義のある仕事をするという意味は異なる。

 行政の担当者は私の知る限り多くの人々が意義のある良い仕事をしたいと考えているが、新たな部署に行くと、当面の仕事については分かっても、その業務が果たす社会資本整備としての意味までは考える余裕がない。本当は行政職員の中に、単純な数量管理しかできないただの威張る人ではなく、きちんとした品質管理と現場指示のできる専門家でありたいと願っている人々が多くいるのに、そうはさせないシステムがある。  

 一方、苗木植栽を業務として受注する企業は、本来仕事に誇りを持ち、その技術力を売ろうとするが、競争入札で落札できる価格は真面目に技術を研鑽することを許さないほど低価格であることがふつうである。

 そこで企業は契約書に示され、特記仕様書で縛られた業務を一言一句違えぬように遂行するが、契約関係で動くわけであるから、それ以外にコストを要することは一切しないし、してはいけないこととなっている。例えば、植栽隣接地でクズが勢い良く伸びだしているのを見つけても、多分せっかく植えた苗木がこれに攻め滅ぼされることが分かっていても、このクズの除去はしてはいけないのがこの世のシステムである。

 過分の利益を出したい場合や原価割れで落札せざるを得なかった場合などには、自社の管理であっても、どこから雇ってきたか分からないような作業員に安い金で仕事をさせる。あるいは部材のレベルを下げて、材料費から上前をはねようとする。作業は効率優先でなければ利益は到底上がらない。そうでなければ企業が成り立たないからである。

 これでまかり通るのは、発注者、検査官たる行政マンに専門家がおらず、数量管理だけでことが済むことに所以している。

 このことは苗木植栽工に留まることなく、公共事業全体のもつ非健全な構造に及ぶ。

 莫大な無駄が日々発生し、そうであってもよいと言う官僚も存在する。

 これは土木や林業などはわが国全体の地域的安定を目指すために、輸出利益を全国に還元する行為であるから、税を地方で消費することに最大の意味があるからだという。

 世界的に経済環境が逼迫し、わが国の財政赤字の累積が看過できない水準に達している現在、未だに成果を問わないカンフル剤投与のこの論が通るだろうか。また、どうせカンフル剤だからと人の目を盗むように適当な仕事で済ませればよいという発想に、社会資本整備としての十分な意義をもつ仕事を果たしていく技術は育つだろうか。

 一つだけここで付け加えたいのは、苗木植栽という業に対しての付加価値があまりにも低いことである。苗木植栽は税金をムダに消費することではなく、景観、保水、種多様性などの環境資源価値を高め、山腹災害を抑止し、木材資源を生む。経済効果だけをとっても著しい価値があるとしても、その価値化には長い歳月と技術を要する。今を生きる者にとっては見え難い長い歳月を要するものには価値はないのであろうか。

8. おわりに

 私は百種以上、十万本に及ぶ樹木を植栽する計画を立て、それを各地で実行してきた。現地を歩き回り、人々と話し、現場で一本一本の苗木の配置を決め、作業する人々に現場立地の見方、材料の扱い方、植え方の指導をしてきた。しかし、一方であまりにも多くの苗木を枯らせ、将来の資源化を妨げるミスを繰り返しても来た。

その失敗とは何かをもう一度考えてみると、私個人の不注意もあったかもしれないが、どうやらわが国のシステム上の問題が大きな部分を占めていることがほのかに見えてくる。

海外から帰ると、改めてわが国は森の国であることを実感する。そして各地の古老からは森づくり、木の育て方、山の見方についての多くを教わってきた。そこには文化と呼べるものが確実にあった。

戦後のスギ、ヒノキ造林地が抱える問題、近年の鹿による森林被害、カシノナガキクイムシの大発生などの事態はわが国の森の行く末を不安にさせるものがあるのに、一方では、日本の木を育てる文化が日々失われようとしていることは耐え難い。

 私は多くの人々と一緒に木を植えて、人が変わったのではないと確信している。むしろ、経済やそれに影響される価値観、社会の体制が、昔から大切にされてきた自然とのかかわり、知恵を失わせることになっているのではないかと考えた。

わが国は、これからの数十年のうちに高齢化と人口減少の大きな影響を受ける。そこでは技術立国としての将来を構想しなければ、営々と築いてきた生活、文化を保持し得ない。その技術立国のベースとなるべき技術者がその技術者良心を発揮できないような社会システム;人の心の価値観まで支配する入札・契約・検査システムや、縦割り型の官僚機構、良心ある専門家でありたいと願う人々をそうはさせないシステムを何としても見直していかなければならないのではないだろうか。


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